NIGHT IN MANHATAN MILDRED BAILEY, LEE WILEY

 
album information and (disc / cover) conditions
タイトル MIGHT IN MANHATAN MILDRED BAILEY , LEE WILEY
盤・ジャケット評価表 D=〇 C=☆●
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  ジャケット裏日本語の解説
stereo / stereo mono
レーベル CBS-SONY Japanese Pressing
管理コード 30849
モニターにより実際の色と違う場合があります。
カードは合計5,000円以上お買い上げの場合ご利用いただけます。

【アルバム説明】
本作はCBSソニーのディグシリーズの一枚として粟村政昭氏の企画に寄って実現したものである。入手困難な10インチを運よく手に入れてもスクラッチに悩まされる、そうした状況下ボーカル・アルバムの二大名作をLPで聴ける喜びは何とも素晴らしいことと言わなければならない。では、粟村さんの紹介をどうぞ - ミルドレッド・ベイリーの「SERENADE」とリー・ワイリーの「NIGHT IN MANHATTAN」この二枚の十吋LPを十二吋盤の両面にカップリングしてヴォーカル・レコードの一大傑作を作り上げることは筆者年来の宿願であった。今CBSソニーのディグ・シリーズ中の一枚としてそれが実現したことに、日本中、否、世界中のヴォーカル・ファンを代表して喜びと感謝の念を捧げたいと思う。 ミルドレッド・ベイリーはジャズ史上最初に「白人女声ジャズ・シンガー」として認められた偉大なる歌い手として有名である。ジャズ・シンガーとポピュラー・シンガーとの間に必要以上に厳格な垣根を設け勝ちなヨーロッパのジャズ・ライター達の間でもミルドレッド・ベイリーとビリー・ホリデイの名前だけは、いくつかのコマーシャルな吹き込みのあることを無視して、常に敬意を以て語られている。彼女は1907年2月27日に生まれ、1951年12月12日、不遇の裡に四十四才でこの世を去った。1929年ポール・ホワイトマン楽団に採用された彼女は、所謂「バンド付シンガー」の草分け的存在として名を挙げたが、36年の9月に夫のレッド・ノーヴォと自楽団を率いるようになってからは、文字通り「MR.& MRS,SWING」としてジャズ・ファンの敬愛を集めた。ノーヴォのオーケストラというのは才人エディ・ソーターのアレンジを擁して、群雄割拠のスイング・イーラでも一際目を惹く洒脱なバンド・カラーによって名を売ったが、こうしたバックのサウンドが気品と哀愁に満ちたベイリーの唄をいやが上にも引き立てていたことは申すまでもない。しかしレコードや実演を通じて彼等の演唱に親しんでいたファン達の感動とは裏腹に、バンド・ビジネスの世界につきものの苛酷な契約条件が彼等の演奏活動を少なからず阻害していたのは事実であった様だ。ミルドレッドは言う。「旅をしていると、汽車の時間で気をもんだり、どの契約がバンドにプラスになるかと迷ったり、誰がこの新しい流行歌のアレンジを引き受けてくれるのだろうと考えたり、このスタンダード曲を私は何コーラス歌うかなどと、楽しみどころではないのです。朝は睡眠不足で半死半生のようになり、トランクやメーキャップ道具のありかがわからなかなったり、くたくたになって目的地に着くとその日の午後早々、バンドや私のレコード吹き込みが待っているといった有様です」(バリー・ウラノフ氏著 野口久光氏訳”ジャズ栄光の巨人たち A HISTORY OF JAA IN AMERISA”より)。正に典型的な楽隊エレジーとでも言うべき裏話だが、それでも36年から39年まで続いたレッド・ノーヴォとの双頭バンド・リーダーの生活を通じて、彼女は一度としてヤッツケ仕事に属する様な手を抜いたレコーディングは残しはしなかった。それどころか、明るく軽やかでややピッチの高い彼女の歌声は、白人には珍しくブルースの真髄を会得していたそのジャズ・ルートと共に、常にスイングと寛ぎを伴って聴衆を魅了した。舞台裏のミルドレッドは可成りエキセントリックな性格の持ち主で、人並みはずれた巨体に異常なコンプレックスを抱き、大衆に受けないことを常に不満し、浪費家で、移り気な信心屋で、喜怒哀楽の感情を包まず周りの人々にぶちまけて波瀾を巻き起こしつつ若くして世を去った。彼女が少なからずその存在を意識していた後輩ビリー・ホリデイの悲劇が彼女を取り巻く社会の不合理に深く根ざしていたのに比べると、ミルドレッドの淋しい晩年は余りにも平凡な小市民的なトラブルの果てに訪れたような気がしないでもないが、幸いなことに彼女のこうした私生活面での煩悶は殆どレコードには記録されていない。彼女のバックを勤めたキラ星の如きスター・ソロイスト達の名演を含めて、公私の感情を巧みに切り換え続けた彼女の芸人魂に我々は嘆詞と共に脱帽すべきであろう。 リー・ワイリーは今日の若いヴォーカル・ファン諸氏にとっては。ミルドレッド・ベイリー以上に縁遠い歌い手となりつつあるが、三十年代に活躍した白人女声シンガーの中でジャズ的見地からみてミルドレッド・ベイリーに肉迫し得る実力の持主はリー・ワイリーを措いて他には無かった。彼女は1915年10月9日の生まれ。ベイリーと同じくインディアンの血を享けた家柄の出身であったが、終生容姿に対する劣等感に悩み続けたベイリーに比して、リー・ワイリーはファッション雑誌に屡々写真が掲載されるほど、シンガーとしての「今一つの武器」に恵まれていた。十五才で家を離れ、わずか二、三年の裡にニューヨークやシカゴのクラブでトップの座を占めるほどの人気者にのし上がった彼女は、ヴィクター・ヤング、ポール・ホワイトマン、ウィラード・ロビンソンといったこの世界の大物たちと常時仕事を組み、三十年代を通じて最も成功したシンガーとして賞讃された。ワイリーの声は言うところのハスキー・ヴォイスではあったが、独特のヴィブラートと暖かさがあり、卓越した歌詞の解釈、趣味の良い選曲と相俟って、彼女の唄に「庶民的でありながら庶民的でない」一種の風格と超世俗性を付け加えていた。ワイリーは三十年代の終わり頃からエディ・コンドン一派のミュージシャン達とレコーディングする機会が多くなり、ガーシュイン、ロジャース〜ハート、ハロルド・アーレンらの有名無名の美しい曲を次々に採り上げて当時のマイナー・レーベルに可成りの数にのぼる録音を残した。四十年代の中期は夫君であったジェス・スティシーのフルバンドに加わって楽旅に出ることが多かったが、間もなくシングルとなり、テレビにコンサートにレコードにと相変わらずの活躍で話題を絶やさなかった。五十年代の初め、円熟の頂点にあったと思われるころのワイリーの唄はCBSと倒産したストリーヴィルに録音されたものが最高のできであったが、伴に廃盤の憂き目を見て久しく、渋好みのヴォーカル・ファンをいたずらに切歯扼腕させるのみと言う不幸な状態が長く続いていた。従って今回名盤の誉れ高い「NIGHT IN MANHATTAN」が新装成って再登場したことは、あらゆるヴォ―カル・ファンにとって朗報と言うべく、長年の渇を一気に癒し得る快事であろう。
型番 30849
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