第32回メールマガジン

一回~のメルマガ掲載 不定期ながらミニ情報やまだ楽しめるジャズの話などを皆様にお話しできたらと思っております。
また、これからジャズを聴きたいがどれから始めたらと迷っている方
にも情報が送れたらと思っております。
ジャズジャーナリズムが地に落ちた現状で少しでも何か発信したいと
思っております。  
購読をご希望の方は下記メールアドレスにご氏名、メールドレスを
お送りして頂ければと思っております。

 jazzcat@yokohama.email.ne.jp



 2020年01月25日 JAZZCAT-RECORD メールマガジン 第32回

 【あの頃のジャズが聴きたい】

  *酒井潮/治外法権 ELEC RECORDS 1973/4/8

   米軍キャンプは多くの日本ミュージシャンを育てて来た。特にジャズの需要は大きかった。ピアノ&オルガン奏者の酒井潮は横田米空軍基地内のクラブ"トップ5"のハコバンとして長年に渡り多くの黒人達の支持を得ていたオルガニスト。黒人たちにとって唯一陶酔できる空間として存在していたが1973年4月に無くなってしまうことになり、酒井潮は自分を育んでくれたクラブ"トップ5"でのラスト・セッションの実現に駆り立てられた。
  酒井潮がラインアップしたメンバーは、TP)伏見哲夫、TS)松本英彦 村岡建、TB)テディ・アダムス、G)川崎燎、D)日野元彦に依るセプテット編成に依るファンキーでソウルフルな演奏展開となった充実作。松本~村岡のテナー・マドネス、堅実な伏見哲夫のトランペット、若き俊英川崎燎の生きのよいプレイ、躍動する日野元彦リズム、そしてリーダー酒井潮の熱いプレイ、随所で化学反応が起きた臨場感あふれたライブアルバムである。曲目は酒井潮のオリジナルを中心としたものでMINORKIMUCHI,BLUES TALK,MRS.ROBINSON,SOUL TALK,PIG'S LEGS,BLIND MAN,BLUES IN MY SOUL,GEORGI A ON MY MIND,PEPEの全9曲の内容。
  酒井潮は1934年12月5日東京都生まれ。学習院大学卒業。ジャズ・ピアニスト。ジャズ・オルガン奏者。大学在学中の54年に沢田駿吾(g)ダブルビーツでピアニストとして活動開始。ジョージ川口ビッグ・フォーなどを経て、68年に自己のオルガン・トリオを結成し、以降オルガンとピアノの両方で活動している。都内近郊にライブ・スポットが散見し始めたころから盛んにライブ活動を行ない、夫人でボーカリストの野田とし子と横浜のライブシーンでも活動していた。
  本作のプロジューサーは浅沼勇と沢田駿吾、録音は日本のRVGの異名を誇る佐藤弘。
  トップ5が無くなる...この事は酒井潮にとって青天の霹靂だったことであろう。ラストセッションを録音し後世に残すという英断及びエレック・レーベルの関係各位の尽力が一体となって本作が成就されたことは偉業と言えるのではないだろうか。プロデューサー浅沼勇氏の言で締めくくりたい。
 「ジャズが本来のビートとアドリブによって陶酔の世界に導いてくれる所があった。その場所に皆さんをご招待出来れば最高なのだが残念ながら、治外法権の場所であり、一般の人々は入れない。しかも、その場所は昭和48年4月をもってなくなってしまったのである。我々にとって最も欲しくないものの一つである米軍基地であってもその中にジャズファンにとってはとっては最高のクラブが存在していた。このアルバムはアメリカの法律の支配する日本のある場所で洋酒と洋もくとアメリカの体臭の中で日本のジャズメンがアメリカのジャズを演奏している奇妙な風景と大ハッピーなジャムセッションをそのまま収録した大変貴重なアルバムである」
 
【ジャズ・クラッシックス】

 * ピー・ウィ・ラッセル (1906/3/27 - 1969/2/15)

  ピーウィー・ラッセルは、ビックス・バイダーベックの盟友として、またデキシーランド・ジャズの花形奏者として、後には中間派のユニークなクラリネット奏者として存在感を示していた。ホイットニー・バリエットは「あれほど飾り気がなく、大胆不敵で閃きに満ちた演奏者はない。」と断言し、現在のトップ・クラリネット奏者ケン・ペプロウスキは、ファースト・ノートだけで判る独特のサウンドと、有り余るテクニックや音楽的知識を敢えて取っ払う、従来のクラリネットの枠からはみ出したラッセルを「クラリネットのセロニアス・モンク」と評した。
  このユニークなクラリネット奏者ピー・ウィ・ラッセルはミズリー州メープルウッド生まれ。20年代の中頃、ビックス・バイダーベック~フランキー・トランバウアーなどと共演、30~40年代はボビー・ハケット~バド・フリーマンとの共演を経てエディ・コンドンのグループで活動。60年代はニューポート・ジャズ祭でセロニアス・モンクと共演、64年にはエディ・コンドン・オールスターズの一員として来日、その時のコンサートは二枚組のアルバムとしてリリースされた。
  プレステイジのスイングヴィル・レーベルからリリースされた"SWINGIN' WITH PEE WEE"はピー・ウィ・ラッセルんほ代表的なアルバムである。サイドメンにバック・クレイトン~トミー・フラナガン~ウェンデル・マーシャル~オーシー・ジョンソンのクインテット編成。リーダーのピーウィー・ラッセルは録音にあたって、「ディキシーランドのリズム・セクションには飽々しているから、もっと活きの良い連中を集めてくれ」とプレスティッジ側に注文を付けた事から本セッションに意欲を燃やしていたことが窺える。
 今までハーレム・ストライドの巨匠達からジェス・ステイシーまで数多の名ピアニストと共演してきたラッセルに、「これまでに共演した最高のピアニスト!」と言わしめた事からもうかがえるようにラッセルのイメージ通りのセッションとして成就した本作がラッセルの代表作として最もふさわしいように思える。


【隠れた名演】
 

   * CARMEN McRAE / BIRDS OF THE A FEATHER DECCA
    1958/8/4~8

 サラ・ヴォーンと比して遅咲きの感のあカーメン・マクレー。54年ダウンビート誌で新人歌手の一位になり、ベッレヘムへの初リーダー作を経て55年にデッカと契約、9枚のアルバムを残し58年にキャップに移籍,名作"ブック・オブ・バラード"を初めとして充実作を残している。
 この時期がカーメンの一つの頂点であったと言えるのではないだろうか。当時36歳女性としての情感の発露が新鮮な魅力となっている。デッカ~キャップ・レーベルでの諸作は殆ど国内盤として発表され好評を博したが、中でも最も日の当たらないアルバムが本作"BIRDS OF THE A FEATHER"だろう。デッカ時代の9枚目最後のアルバム。鳥に因んだ曲を集めた企画盤。SKYLARK,A NIGHTINGALE SANG IN BERKELEY SQUARE,BYE BYE BLACKBIRD,FLAMINGOなど知られた4曲の他8曲はハロルド・アーレン~アービング・バーリンなどの企画に因んだ曲の掘り起こしをしマニア好みの選曲と成っている。
 アレンジと指揮を才人ラルフ・バーンズが当たっており、オーケストラのメンバーにはベン・ウェブスター~マンデル・ロウ~バリー・ガルブレイス~アル・コーン~ドン・アブニーなどが参加、中でもベン・ウェブスターの短いながらソロやオブリガードが色を添えている。


 【メールボーカリスト】

 *ジョー・ムニー (1911/3/14 - 1975/5/12)

 盲目の弾き語り歌手ジョー・ムーニーは20年代後半からトミー・ドーシー~30年代ポール・ホワイトマン~グレン・ミラー~レス・ブラウンなど多くのバンドにアレンジャーとして知られていた。 46年自身のアコーディオン・カルテットを編成自身のボーカルをフィニチュアーした軽妙洒脱なグループ・コンセプションで多くの支持を得た。このカルテット、アコーディオン~クラリネット~ギター~ベースと言うユニークな編成であった。今回は、60年代前半ニューヨークのジャズ・シーンに復帰、63年~65年年にかけてCOLUMBIAレーベルに入れた"THE GEATNESS OF JOE MOONEY","THE HAPPINESSN OF JOE MOONEY"の2枚のアルバムを紹介したいと思う。
 前者はマンデル・ロウの指揮~編曲のオーケストラで、ute,When I Fall In Love,Emily,I Wanna Be Around,When Sunny Gets Blue、など全12曲。後者はクインテット~セクステット編成でBut Beautiful,The Second Time Around,I Wish You Love,Nobody Else But Me,What Kind of Fool Am I,The Good Lifeなど全12曲、伴に健在ぶりを発揮したアルバムである。


 【フィメール・ボーカリスト】

 *クレオ・レーン (1927/10/27 -)

 クレオ・レーンは、スキャットで名高いイギリスの大御所ヴォーカリストにしてミュージカル女優である。ジャズ、ポピュラー音楽、クラシック音楽の各部門においてグラミー賞にノミネートされたことのある唯一の女性歌手と言われている。
 アルバムも多岐に渡っている中で、地味ながらきらりと光るアルバムがある。1984年にCBSからリリースされた"CLEO LAINE / THAT OLD FEELING"である。オーストラリアの友人に捧げたインティメイトなアルバム。P)LAURIE HOLLOWAY,B)ALLEN WALLEYの二人だけのバックで THAT OLD FEELING. TENDERLY,I'VE GOT A CRUSH ON YOU,ONCE IN A WHILE,IMAGINATION,IT NEVER ENTERED MY MINDなどスタンダード中心の選曲でのバラード18曲と記していくとそれだけで敬遠する向きもあると思われるが、クレオの語る様な圧倒的な歌唱力に依ってただただ魅了される内容になっている秀作。

【日本人演奏家】

    井上 良(1937 - 2009/3/24 )
   大学在学中に米軍クラブでジャズを歌い始め、南里文雄とホットペッパーズに抜擢され注目される。ライブ・スポットやホテルのディナーショーで人気を高めて行ったが、60年代中頃から日本のジャズが衰退期に入ると熱海や東京で実業家として活動、ジャズからは距離を置いていた。そうした80年代後半、水道橋~春日通りの一角にオープンした大矢隆敏さんの経営する飲食店で井上 良のライブに接するチャンスを得たのだった。
  大矢隆敏は50年代ロリンズに傾倒する新進テナーとして自身のグループ"大矢隆敏とハイウェイ・サウンズ"で活動、若き日の菊池雅章も参加していたという。こうした活動からジョージ・川口ビック4に抜擢され タクト・レーベルからの58年ジョージ・川口ビック4/ CARAVAN(TAKT)でそのプレイに接する事が出来る。その大矢さんが店で、過ってセッションをともにしたミュージシャンに働きかけ再会セッションを企画、そこで井上さんと出会った。当時はジャズとは離れていたが"アルディラ"を始めとして懐かしいポップスやスタンダードの数々に魅了された。
  次の出会いは2000年初め頃、ランドマークにあるNHKカルチュアー・センターで井上良とピアニスト藤野聡に依るジャズ・ボーカル講座が始まり、合わせて伊勢佐木町のライブ・スポット"酔いどれ伯爵"へ月一回のライブへと発展、メールボーカルのセッションは稀であり何度かお伺いした。ある日のライブでは3~4曲をメドレーで歌い続け40曲以上に及ぶ圧倒的なボーカルを聴かせ驚いた。ピアニスト藤野聡のスタンダードに精通しているとは言え、井上良との以心伝心なライブ・パフォーマンス、こんなライブアルバムを一枚残してくれたらどんなに素晴らしい事ではなかったろうか。残されたアルバムは一枚だけ、1998年の井上 良/ファーストセレクション ワルツ特集" DEAR HEART,LA-LA-LU,MY HEART CRIES FOR YOU,ROSE TATTOO,TENNESSEE WALTZ,MOON RIVER,T'S A SIN TO TELL A LIE,ラストワルツ。30分弱の一枚である。
  尚、娘の早見優とのアルバム"HAPPY TOGETHER"があり井上良のパートも3~4曲あったと記憶するがジャズ・ファン向きではないだろう。


 【TRIBUTE TO SOMEONE】
 
  山口新語 (1972/11/1 - 2019/11/26))

  中堅ドラマーとして活躍中の山口新語氏が11月26日心筋梗塞で急死した享年47歳。
  クラッシック・ピアノからスタートした音楽遍歴はパーカッションを経てドラム奏者に転向。カイル・マディに師事、ドラマーとして研鑽を積む。カイル・マディはスリー・サウンズのロンドンハウスでのライブ・アルバムで記憶されるドラマー。
  山口新語のドラミングは派手なプレイは一切なく、つねに全体を顧慮した繊細なプレイが身上であった。氏とは縁あって10年前知人の紹介で戸塚のライブでお会いし、氏の音楽観や人柄に魅了された。当時,横浜関内の日本大通りにあった画廊喫茶でジャズライブの企画があり、氏が実質的なリーダーとなって岩見淳三トリオ、ベースは成重幸紀、菅野義孝トリオベースは嶌田憲二、テナーのジェームス・マホーン・トリオのライブをお願いしたり、ライブ・スポット”ドルフィ-”では南野陽征トリオ、小池純子トリオなどのピアノトリオのライブが楽しかった。特に南野陽征は再帰後間もない氏のピアノを堪能した。
  当時は大野三平に抜擢されプロ入り間近の頃で、我々の企画に誠意をもって対処してくれ大変有難かった記憶がある。そんなある日氏がジャズ・キャットの事務所に来られリリースされたばかりのECMのアルバム"Which Way Is East/Charles Lloyd/Billy Higgins"を持参し絶賛された。その場で二枚組を二人で鑑賞した。従来のデュオ概念を超越した内容で全編聴くに及んでビリー・ヒギンズこそ最高のドラマーとの認識を持ったことを懐かしく思い出す。恐らく驚くべき秀逸なアルバムに出会って、誰かに吹聴せずにはいられなかったのだろう。その気持ちはよくわかる気がした。氏のリーダーアルバムが一枚残されている。

"FIRST PAGE / YAMAGUCHI SHINGO" SAX RECORD 2003 D)山口新語~G)粟澤博幸~B)高梨道生

尚、2010年からは社交ダンスのためのリズムレクチャーも行い、日本のチャンピオンクラスから絶大な支持をされていると聞く。ダンス専門誌「ダンスタイム」でメインコンテンツの”リズムマジック”を監修。音楽指導者としても全国各地でレクチャー等を行なっていた。潜在していた各種の才能が開花した山口新語氏の訃報は、惜しみて余りあるものがある。残された先のライブ音源を熟読玩味ならぬ熟聴玩味して氏を偲んでみたい。




メルマガの購読を停止する場合はお手数ですが下記メールアドレスに ご連絡をお願いいたします。
Email: jazzcat@yokohama.email.ne.jp