第29回メールマガジン

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 2019年1月26日 JAZZCAT-RECORD メールマガジン 第29回

【今月の一冊】

「ジャズ―栄光の巨人たち」バリー・ウラノフ 著
                                          野口久光 訳
         スイング・ジャーナル社 1975

  1975年8月にスイング・ジャーナル社から刊行された本書は、アメリカでは1952年に出版、著者は英文学者でジャズ評論家のバリー・ウラノフ。英文タイトルは"A HISTORY OF JAZZ IN AMERICA"訳者は野口久光氏で、1955年一部を省略して「ジャズの道」のタイトルで新興楽譜出版から刊行された事がある。刊行当時のスイング・ジャーナル編集長は児山紀芳氏で若手評論家中野宏昭氏の協力の下復刻が実現。内容は24章からなっている。
  これから初期のジャズを聴こうとする者にとって、現行ではガイド・ブックと呼べるものは皆無に等しい、ジャズ・シーンが活気を失い停滞~後退気味の状況、加えて様々なジャンルとコラボレイションする現在、本来のジャズを見失う事にもなりかねない。本書は1920年代~1940年代後半までの様々なジャズシーンの記述はリアルで多くの示唆に富んでいる。奥付の人名索引は920名を越える、従って事典がわりに使用するのも一案、長く活用できる机上版的名著である。75年に刊行されたが長きにわたって入手困難で古書でもプレミアが付いていた時期もあったが、近年はネットで安価で入手できる状況になっている。

  1章~ 4章まではミュージシャンに依るジャズの定義~音楽に見る18~19世紀のアメリカ~黒人音楽の形成~ブルースの誕生と言ったジャズ前史。

  5章~ 9章ジャズとニューオリンズ~初期の巨人達バディ・ホールデン、キング・オリバー、ジェリー・ロール・モートン、シドニー・ベシェ~ルイ・アームストロング~ラグタイムからデキシー~ニューオリンズからシカゴ。
 10章~14章シカゴ・ジャズ・シーン~ビックス・バイダーベック~ニューヨーク進出フレッチャー・ヘンダーソン~名編曲者ドン・レッドマン。

 15章~20章デューク・エリントン~ベニー・グッドマン~カウント・ベイシー~ジミー・ランスフォード~アーティ・ショウ~ピアニスト達としてアール・ハインズ~ファッツ・ウォーラー~テイタム~ウイルソン~メリー・ルー・ウイリアムス~モダン・ジャズの先駆者としてレスター~エルドリッチ~ブラントン~ベン・ウェブスター~チャーリー・クリスチャン~歌手の時代としてミルドレッド・ベイリー~エラ・フィッツジェラルド~ビリー・ホリデイ~フランク・シナトラ。

 21章~24章バップ革命~プログレッシィブ・ジャズ~クール・ジャズ~ジャズ批評について。

 【あの頃のジャズが聴きたい】

 ヘレン・ウォード

 ビック・バンドの黄金期1930~1940年代は演奏と歌が不可分の時代であった。ステージ左側最前列に控えている光景は写真で見てもいいものだった。群雄確固するビック・バンド・シーンは個性を発揮した多くのバンドシンガーの排出をみた。
 そうした中にあってヘレン・ウォードは18歳と言う若さでベニー・グッドマン第一期黄金時代である1934年~1936年の専属歌手としてポール・ホワイトマンのミルドレッド・ベイリー~カウント・ベイシー、アーティ・ショーのビリー・ホリデイの次に位置するヘレン・ウォード、RCA VICTORに27曲の録音がある。内16曲を選曲した国内盤 RCAスイング・バンド=レデイ・シンガー・コレクション"GOODY GOODY / HELEN WARD"この録音後、ヘレンは結婚の為、歌手としての活動は散発的で、53年ベニー・グッドマン楽団のツアーに復帰、それが契機となって初アルバム"IT'S BEEN SO LONG"(10吋)をパーシー・フェイス楽団の好バックで吹き込む。
 ヘレン37歳時、ベニー・グッドマン専属時代の快調さを保ちつつ円熟した歌唱が素晴らしい。しかし、ヘレンのジャズ・シーンへの復帰はままならず、当時のビックバンド・ビジネスの難しさが伺える。57年ラリー・クリントン楽団で4曲、58年ピーナッ・ハッコーのベニー・グッドマン・スタイルで7曲が聴きごたえがあった。80年突如Lyriconレーベルから"THE HELEN WARD SONG BOOK VOL.1"を発表ファンを驚かせた。

 ヘレン・ウォードは実力の割りに自身のアルバムが53年と80年の二枚しかない、極端に少ない状況が、過小評価させている様に思える。ヘレンの歌が聴かれる前記以外のアルバムとしては
 "VINTAGE NGOODMAN"(COLUMBIA)
 "B.GOODMAN PRESENTS FLETER HNENDERSON ARRANGEMENTS"(COLUMBIA)
 "GENE KRUPA'S SIDEKICKS"(COLUMBIA)
 "GENE KRUPA / MUTINY IN THE PARLOR"(RCA CAMDEN)
 "TEDDY WILSON AND GIRLS"(COLUMBIA)
 "THE GREAT JAZZ SINGER WITH THE GREAT BIG BAND"(MCA)
 "WILD BILL DAVISON VOLUME 1"
などがある。どのアルバムでもターンテーブルに乗せれば、瞬時にあの時代に回帰出来ることはレコード音楽の最も素晴らしいところだろう。

【バンドシンガー】

 イーディ・ゴーメ
 イーディ・ゴーメは1928年生まれ。1950年トミー・タッカー楽団の歌手としてデビュー、翌51年テックス・ベネキー楽団の専属歌手となり、バンドシンガー最後の世代に属するシンガーである。61年と67年2度のグラミー賞を受賞。ポピュラー・ボーカルリストの頂点を極めた感がある。57年~60年のABCパラマウント時代ドン・コスタのアレンジで多くのジャジーなアルバムがある。今回は3枚のアルバムをターンテイブルに乗せてみたいと思う。"EYDIE GORME / ON STAGTE"は、ABCパラマウント時代の一枚、アレンジとオーケストラはドン・コスタ、A面は"TAKING CHANCE ON LOVE","JUST ONE OF THOSE THING","YOU TURNED THE TABLES ON ME"他著名なスタンダード6曲。
 B面はバーリン~マックヒュー~ウォーレン~マーサーらの渋めのスタンダード6曲の内容。安定感のあるジャジーな歌唱が楽しめる。63年のコロンビア盤"LET THE GOOD TIMES ROLL"(邦題 イーディ、ゴスペルを歌う)は、オリジナリティを持ったイーディの幅広い領域をカバーする歌手としての存在を印象付けるアルバム。バックはマリオン・エバンスのアレンジとオーケストラである。マリオン・エバンスとは前年、ヒット作"BLAME IT ON BOSSA NOVA"でポップス~ジャズの多くの音楽ファンの支持を得たのだった。
 このアルバムは、わが国のジャズボーカリスト達にボサノバの模範的な歌唱として多大な影響を与えた。又、57年にポップ・シンガー、ステーブ・ローレンスと結婚デュエットでのレコーディングやステージで活動を展開広い大衆の支持を得、ヒット作"WE GOT US"も加わって61年ベスト・ヴォーカル・グループとしてグラミー賞を得る。 
 "WE GOT US"も収めたデュエット・アルバム"EYDIE AND STEVE"(ABCパラマウント)は時代を感じさせるノスタルジックな一枚である。

【ジャズ・クラッシックス】

 ジョージ・ルイス・オールスターズ・イン・トウキョウ 1963
KING RECORD / KING STEREO SKJ 9,10

  1969年の正月早々訃報が入った。1968年12月31日ジョージ・ルイスが肺炎のため逝去したとのことであった。翌年1月3日に葬儀が行われた。
  ジョージ・ルイスは1963年を皮切りに64年,65年と続けて来日、主催が労音と言うこともあり全国ツアーを敢行,毎年100回の公演を行った。それが3年間継続され日本における最も親しみ深いクラリネット奏者であった。コンサートの司会は河野隆次氏が担当、氏は後にDANレーベルを通じてアメリカンミュージックやオハイオ・ユニオンの復刻に尽力したクラッシック・ジャズの権威である。氏が都合付かなかったときはジャズ評論家の油井正一氏が代行した。  最初の日本公演1963年8月21日東京厚生年金会館ホールでのライブ・アルバムである。メンバーはCL)ジョージ・ルイス,TP)パンチ・ミラー,TB)ルイス・ネルソン,BJO)エマニュエル・セイレス,P)ジョー・ロブショー,B)パパ・ジョン・ジョセフ、D)ジョー・ワトキンス。全14曲の収録内容を記しておきたい。

  1面)ALEXANDER'S RAGTIME BAND,OVER THE WAVES,ST.LOUIS BLUES.  2面 SOMEBODY STOLE MY GAL,JUST A CLOSER WALK WITH THEE,WHAT A FRIEND WE HAVE IN JESUS, BURGUNDY STREET BLUES,3面MUSKRAT RAMBLE,ST.JAMES INFIRMARY,
THE WORLD IS WAITING FOR THE SUNRISE,ICE CREAM,THE WE MEET AGAIN, WHEN THE SAINTS GO MARCHING IN 録音状態も良好でジョージ・ルイスをはじめとした初老たちの秀逸な演奏内容が感動を呼ぶ。左側が63年後半にリリースされたオリジナル盤で右側が69年追悼盤として新装を新たに再発されたのであった。

【隠れた名演】
 
  MARY OSBONE / NOW AND THEN STASH 1982

 メリー・オズボーンは1921年生まれ、1992年亡くなっている。彼女はジャズ・ギターに関して重要な役割を果たしている。30年代後半チャーリー・クリスチャンがエレクトリック・ギターを弾き始めたころにライブで出会い、後日クリスチャンの事をメリー・ルー・ウイリアムスに伝えたことが、ジョン・ハモンドに届きベニー・グッドマンへの道が開けた、と言った故事来歴がある。この様にメアリーとクリスチャンの出会いは彼女に決定的な影響を与えクリスチャン直系なギターリストになったのだった。
 彼女は15歳でミュージシャンの世界に入りヴァイオリン~ギター~ベース~唄~ダンス等々多芸ぶりを発揮していた様である。クリスチャンと出会ってからはギターだけに絞って活動、46年にニューヨークに進出ビ・バップ勃興の機運に乗じて様々さセッションやレコーディングを行った。
 その当時のプレイが聴かれるものとしてCOLEMAN HOWKINS / HAWK AT BOP ( RCA VICTOR 1946-47)46年10月3日ホーキンス以下、シェイバース~イーガー~ジミー・ジョーンズ~シェリー・マンらを擁したコールマン・ホーキンスと52番街オール・スターズの4曲が貴重。
 当時彼女はJ・C・ハードのグループに在籍していた。自身のアルバムとしては"GIRL AND HER GUITAR" (WARWICK 1959)と82年頃の録音と思われる"NOW AND THEN"(STASH)、このアルバムA面がチャーリー・パーシップのドラムを擁したトリオ編成でSOFT WINDS,EMILY,SAMBA DE ORPHEUS,LOVE YOU MADLY,GOD BLESS THE CHILD,JUST FRENDSの6曲、B面は前記WAEWICK盤11曲から6曲収めた内容である。メンバーはフラナガン~トミー・ポッター~ジョー・ジョーンズにリズムギターのダニー・ベイカーが加わっている。
 
【TRIBUTE TO SOMEONE】
 
  土井一郎(1952/3/27 - 2018/11/8)

  大阪府出身。単身上京して1974年に松本英彦クァルテットに参加、1975年には山口真文クァルテットに加わり、翌年には新宿ジャズ大賞を受賞。将来を嘱望されたピアニストだった。それを証左するのが76年西条孝之助のオフビート・レコードからリリースされた"LET ME LOVE YOU"。リズムセクションは新進ピアニスト土井一郎を起用した栗田八郎トリオ。スウイギーな西条のテナーとフレッシュな土井のピアノが新鮮な魅力となっているアルバム。   暫くしてライブのチャンスも得て氏のピアノに注目したのだった。今手元にある"JUST ME","JUST ME AGAIN"は90年代前半二枚のピアノ・ソロアルバム、派手さや飾り気のない素朴なピアノはユニークなテイストがある。自身のグループ"ミリオン・パラ"、オリジナルに依る"24のプレリュード"も是非とも押さえて
おきたいアルバムである。

  佐山雅弘(1953/11/26 - 2018/11/14))

  兵庫県出身で国立音大作曲科卒。フュージョン~クラッシックと幅広い分野で活動、ルク変奏曲」、ガーシュイン「ラプソディー・イン・ブルー」でオーケストラとの共演CDは大きな話題となった。2002年 B)小井政都志、D)大坂昌彦と結成したジャズ・トリオによるアルバム"FLOATIN' TIME"は秀逸なピアノトリオ盤で際立  ライブシーンでは2002年9月24日横浜桜木町のジャズ・スポット「ドルフィー」での井上淑彦とのデュオ・セッションが、一期一会を絵に描いたようなパフォーマンスを忘れることが出来ない。前記ピアノトリオ盤のライナーを村上春樹が書いている。「ひたむきなピアニスト」で~音楽でも文章でも、何かをクリエイトし続けていく事の大変さは、基本的に変わらない。前向きな姿勢が取れなくなったら、生み出される作品から力や深みは消えてしまう。佐山君にはとにかくいつまでも,ひしひしとひたむきな「ピアノおたく」であってもらいたいと願っている。そういうことって何はともあれ、すごく大事なんだと僕は思う。- 佐山雅弘は終生こうした姿勢を貫き通したジャズ・ピアニストであった。

  ナンシー・ウイルソン(1937/2/20 - 2018/12/13)

  オハイオ州コロンバス出身のナンシー・ウイルソンは同地で歌手として活動の折、キャノンボール・アダレイとの共演を通してニューヨークへ進出、キャピトルと契約、第一作~二作はビリー・メイのアレンジとオーケストラで"LIKE IN LOVE"(1959),"SOMETHING WONDERFUL"(1960)でジャズ・ボーカリストとして始動、続く"THE SWIGIN'S MUTUAL!"(1961),"NANCY WILSON/CANNONBALL ADDERLEY"(1962)、前者はジョージ・シアリング後者はキャノンボール・アダレイとの共演作でデビュー時の好調さが伺える。以降幅広い領域のアルバムが続くがハンク・ジョーンズ・カルテットとの"BUT BEAUTIFUL(1969)"で再びジャズ・ファンの関心を呼んだ。
  来日公演も1969年から1987年にかけて9回に及んでいる。主だったメンバーを記しておくと72年はフレディ・ハバード・クインテット、74年本田竹広トリオ&ニュー・ハード、76年フィリップ・ライト・トリオ~アレン・ジャクソン~ハロルド・ジョーンズ、81年オーレックス・ジャズ・フェスティバルなどである前記デビュー当時の諸作に愛着が沸く。

 前田憲男(1934/12/6 - 2018/11/25)

  2018年の11月~12月訃報が相次いだ土井一郎、佐山雅弘、前田憲男、ナンシー・ウイルソンと.....
  前田憲男は日本ジャズの重鎮として、ジャズを軸に隣接ジャンルに大きく係っておりその活動は年とともに増大傾向にあり大変忙しい日々を過ごされていた様に思う。氏のレコードとの関わりは"ウエストライナーズ"キング盤二枚のアルバム。前田憲男~鈴木淳~猪俣猛に依るトリオ-ビバルディ/四季のジャズアルバム。ウインドブレイカーズの諸作、マーサー三宅とのデュオアルバムなどが記憶に残る。特にオフビートレーベルのマーサー三宅とのアルバムは前田憲男のピアノによってマーサの隠れ名盤の一枚になる秀逸なアルバムだった。
  下積み時代の前田憲男は、高校で軽音楽部の演奏に接して、こんなに凄い音楽があったのかと感激し、軽音楽部に入り、クラリネットでベニー・グッドマンの「フライング・ホーム」などをコピーしていた言う。そのクラリネットで米軍キャンプ廻りをしていた。卒業したが身体をこわして進学を断念、過っての音楽仲間の誘いで演奏活動が始まる。本格的なモダン・コンボに入ったのは"曽我部進とBSファイブ"で活動、ベースの上田剛氏が来阪、氏の誘いで東京に進出し紆余曲折の後、沢田駿吾のダブルビーツに抜擢される。その時のピアノはあの天才守安祥太郎であったが方向不明で、後日死亡が確認され正式にメンバーに成った経過がある。その後は"ラテン・クォーター"でシャープス&フラッツのチェンジ・ピアノトリオと遮二無二ジャズと係わったことが後年の幅広い活動に直結した様に思われる。

【日本人演奏家】

 杉原 淳(1936/8/6 - )

 鎌倉に生まれ17歳でサックスを始める。学生バンドで活動し20歳で"沢田駿吾とダブルビーツ"でプロ・デビューする。以降、河辺公一~ジミー竹内~世良譲~栗田八郎のコンボを経て、杉原淳とイースト・サウンズでビ・バップを演奏していた。来日したジョージ・シアリング~アート・ブレイキー~ジェリー・マリガン~アニタ・オディ達と共演、69年大橋巨泉とサラブレッツに参加テレビ界に進出。
 75年エイム音楽院を設立後進の指導にもあたっている。80年ライブ・ハウス・セッションのために"カンサス・シティ・バンド"を結成。メンバーは、TS)杉原淳.尾田悟、AS)五十嵐明要、P)小川俊彦.沢田靖司、G)細野義彦、B)青島信幸、D)五十嵐武要で、ライブシーンでは絶大な人気バンドで何時も満員の盛況だった様である。カンサス・シティ・ジャズはスイングからモダンへの架け橋になったジャズ史上最も重要なスタイルであり、これを正統的に信奉するこのバンドが多くのファンに支えられているのは心強いものがある。唯一のアルバムが"FULL SWING / THE KANNSAS CITY BAND"(1981)である。正にフル・スイングである。




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