第23回メールマガジン

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 2017年8月24日 JAZZCAT-RECORD メールマガジン 第23回

【今月の一冊】

「レスター・ヤング」 デイヴ・ゲリー著 
          油井正一 監修 中川 燿訳 音楽之友社 1986

   音楽の友社が刊行した「ジャズ・マスターズ・シリーズ」全10巻の内の一冊である本書はレスター・ヤングの伝記である。活動期間である1933年~1959年の26年間を三章に分けている。第一章はカウント・ベイシー~フレッチャー・ヘンダーソン~アンディ・カークと著名バンドを移り行く状況描写。第二章36年ベイシー楽団に復帰~テデイ・ウイルソンのブランズウィック・レコーディング・セッションでのビリー・ホリデイとコラボレイション。
  第三章キーノート・セッション~軍隊生活~コモドア、アラディン、バーブレーベルでのレコーディングと言った内容である。
生前、油井正一氏はジャズにおける大巨人として、初期ルイ・アームストロング、中期レスター・ヤング、後期オーネット・コールマンの三人を、小巨人としてチャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビスをあげ、別格としてデューク・エリントンを取り上げていた。スイングからビバップへ移行する時期にレスター・ヤングの存在が如何に大きいかを力説していた。
  こうした自説を本にまとめることを最後のライフワークとして取り組むが叶わなかった。後輩の粟村政昭氏が「ジャズ・レコード・ブック」及び「モダン・ジャズの歴史」の著書で”簡にして要を得た”文章があるので引用して置きたい。

  - スイング時代におけるレスターの出現は、恐らく後年のオーネット・コールマンの登場に比すべき画期的なものであったに違いない。それまでコールマン・ホーキンスによって代表されていたテナー奏法―太くたくましい音色、大きなヴィブラート、迫力に満ちたアタックといった特徴に慣れ切っていた当時のファンにとってレスターのテナーは正に異質なものであったろう。フランキー・トラムバウァーのC・メロディ・サックスとジミー・ドーシーのアルトにひかれたというレスターの音は、小さく滑らかであり、しかもほとんどヴィブラートに欠けていた。あるいは正確には「あとヴィブラート」と言うべきかも知れないが、こうした音色の上での特徴に加えて、リズムへの「乗り」がまたレスター独特のもので、ためにフレーズが予期せぬところでつながったり切れたりし、これが従来のジャズには聞かれなかった新しい「寛ぎ」を生み出した。
  レスターはまた一聴退屈とも思えるフレーズを吹くことを決して恐れなかった。長く伸ばした同一音の繰り返しのあとには必ず躍動するようなフレーズが現れて単調さを救い、凡手が一瞬のうちに絶妙の布石に変わるというスリルを生んだ、こうしたレスター独自の発想法は、後年のソニー・ロリンズに引き継がれてモダン・ジャズの世界の中に再び開花している。しかしレスターのテナーは同時代のミュージシャンに取ってあまりにも新奇に過ぎたとみえて、彼の出現後もホーキンスに連なるテナー・マン達のプレイには動揺のかげはなく、その影響力はスイング時代を越えて遠くモダン・ジャズの隆盛期を迎えるまで持ち越されたのであった。
  アレン・イーガー、ワーデル・グレイ、といったバッパーに続いて、スタン・ゲッツに代表されるクール・スクールの若手達は、レスターのトーンと、それにもまして彼一流の嫋々たるフレージングの魅力に傾倒した。しかもこうした個々のミュージシャンに対する感化ばかりでなく、ある意味ではレスターの影響力はマイルスの九重奏団に始まる当時全盛のウエスト・コースト・ジャズの世界にも浸透していった感があった。なぜなら西海岸派の有力なリーダー達は、彼らの野心的な吹き込みを終えるに当たってしばしば「レスターの持っていたトーンと寛ぎを目指した」と語ったからである。こうして彼の偉大さが形を変えてモダン・ジャズの世界を支配しつつあった..... ( ジャズ・レコード・ブック1968 )

  レスター・ヤングの伝記を通読して感じることは苦悩の連続であった様な気がするが、そうした中でビリー・ホリデイとのブランズウィックのレコーディング・セッションが唯一のハイライトであり、除隊後の放送録音も含めたアルバムも世評に惑わされることなく聴いていきたい気持ちに駆られる。87年に除隊後51年~56年の放送録音をLP1枚にまとめたアルバムが「ストリーヴィル・マスター・ジャズ・シリーズ」として12枚組のセットアルバムの1枚としてリリースされた。全12曲除隊後のプレイは評価が低いが比較的良好なプレイに終始している。レスター・ヤングのアルバムに愛着をもって聴く楽しみが改めて始動した感じである。

   
【あの頃のジャズが聴きたい】

  A SUTUDY IN DAMERONIA / TADD DAMERON
         (PRESTIGE PRLP 159 Rec.1953/6/11)
   バップからハードバップに発展していく過程において48年-49年ダメロン/ナインピースのオーケストラは、ロイヤル・ルーストを拠点に活動その期間は39週間に及んだという。参加したミュージシャンはマイルス、ナバロ、デクスター、カイ・ウインディング、アレン・イーガー達が去来し、その楽器編成は TP TB AS TS BSの5管にリズムセクションとパーカッションが加わる内容で5管の重厚で美しいハーモニーと各人の際立ったアドリブの数々がオリジナルに依って表現されていた。ダメロンのグループにも参加していたマイルスが同時期”クールの誕生”として編成したグループは、TSを外してフレンチホーン、チューバを加えた新しいサウンドを表出していた。こうした時代背景の中でダメロンのナインピースのオーケストラは深化し53年の "A SUTUDY IN DAMERONIA"として結実していく事となる。
  PHILLY JOE JONES ,CHOOSE NOW ,DIAL "B" FOR BEAUTY ,THEME OF NO REPEATの全4曲。参加メンバーは次の通りである。TP)CLIFFORD BROWN.IDREES SULIEMAN ,AS)G.GRYCE ,TS)BENNY GOLSON ,BS)OSCAR ESTELL ,TB)HERB MULLINS ,P)TADD DAMERON ,B)PERCY HESTH ,D)PHILLY JOE JONES 時代を越えて聴き継がれていくべきジャズ・クラッシックスの一枚だと思う。

       
【今月の日本人演奏家】

  大野 肇(1936/3/10 - 1998/11/2)

   16歳でプロ入り。1953年米元広、同志社大学クールキャッツ、ジョージ川口ビッグ4、ウエストライナーズ、シャープス・アンド・フラッツ、大野嵩とナイトシックス、などを経て自己のトリオでホテル・ニュー・オータニやクラブで活動。アルバムは少なくピアノトリオの「MAKI」とトリオとカルテットを収めた「DEEP NIGHT」の二枚のCDとアナログでは、ロブスター・レーベルでベーシスト河上修のリーダー作にドラムスの清水潤とのトリオによるレコ―ディング「DEAR,OLD GOODWIN'がある。又、広瀬麻美のボーカルアルバム「IF I HAD TO BE YOU」では全編バラードの異色作で、広瀬麻美の歌唱に絡む素晴らしい歌伴のプレイが聴ける。     71-72年在籍したシャープ&フラッツのアルバムが残されている。故守安祥太郎を師としただけあって、正統的なバップ・ピアニストで多くのピアニスとに影響をあたえたミュージシャンズミュージシャン。
* SANPEI OHNO / DEEP NIGHT  
        (Jazzfreak records WP-001 Rec,1991)
 p)OHNO SANPEI,b)ABRAHAM SHORTY,ds)KENNY WASHINGTON,
 (As,Ts)TED KLUM
  全12曲トリオ7曲、カルテット5曲の内容。タイトルの"DEEP NIGHT"はソニー・クラークのクール・ストラッティンで取り上げている曲である。自身のピアニズムを伸び伸びと展開させている。
* OSAMU KAWAKAMI / DEAE,OLD GOODWIN'
       (LOBSTER LDC-1039 Rec,1983)
 b)KAWAKAMI OSAMU,ds)SHIMIZU JUN,p)OHNO SANNPEI
DEAR,OLD GOODWIN,SPRING IS HERE,HARD TO FIND,GREENSLEEVES,LADY BIED,MY ONE AND ONLY LOVE,CONFIRMATION,MENINE MOCA

  河上修は70年代中頃渡辺貞夫カルテットのレギュラー・ベーシストを2年間務め以降、菅野邦彦、八城一夫、世良譲と名門バンドでプレイした名手の一人である。その初リーダー作のピアニストに抜擢、ドラムスの清水潤を迎えたトリオ編成に依るダイレクト・カッティング盤。
   選曲も良く特にパーカーのLADYBIRD,CONFIRMATIONなどのビバップ・ナンバーでのプレイは本領を発揮したものとなっている。
 
【JAZZ CLASSICS】

 ビリー・エクスタイン ( 1914-1993 )

   粟村政昭氏の「ジャズ・レコード・ブック」のビリー・エクスタインの項で次の様に言っている。
  ~ビリー・エクスタインは過って史上最初の大編成バップ・バンドのリーダーとして、若い血気のミュージシャン達を次々に起用しながら台風の目の如くジャズ界を荒れ狂ったものであった。   エクスタインのバンドは正確には44年の6月から47年の二月まで存続し、ガレスピー、ナバロ、マイルス、パーカー、デクスター・ゴードン、ジーン・アモンズ、バッド・ジョンソン、アート・ブレイキーといったモダン初期の巨人達がが次々に去来した。 今日この偉大なるエクスタイン・バンドがその存在さえ忘れられようとしているのは、一にかかって当時偉容を伝えるに足るだけの優れたレコーディングにめぐまれなかったからに他ならない。
  エクスタインの目指した演奏は当時の水準から見てあまりにも進歩なものであり過ぎたために、無理解なレコード会社はバンド演奏を避けもっぱらビリーのヴォーカルだけを録音しょうとした。しかもデ・ラックス、ナショナルといったマイナー・カンパニーの録音技術はひどく、またバンド自体も経済的な理由からメンバーの移動が相次ぎ安定した内容の演奏を行う場合が少なかった。これがエクスタイン楽団のジャズ史に対する寄与を過小評価させている原因のすべてである。
  エクスタイン楽団がのこしたわずかな傑作はかって「Mr.B」という廉価盤で発売されたことがあったが、現在はイギリスのEmberFA-2010として残されており、ガレスピーのソロやゴードン、アモンズのテナー合戦を聞くことが出来る(ただしこのLPの大部分は唄入り)。
  ナショナル原盤のものもかつてエマーシーから単独のLPフォームで出ていたことがあったが現在は入手不能である。バンド経営に失敗したあとビリーはソロ・シンガーとしてステージに立ったが、経済的にはこれが大成功で、一頃「ミスター・B」の名は文字通り人気投票の首位を独占した。
  エクスタインのヴォーカルの傑作として僕は「CARAVAN」「SMOKE GET IN YOUR EYES」あたりを挙げたいが、寛ぎに欠ける彼の唄はやがてファンの支持を失い、二度と昔の名声を取り戻すことは出来なかった。

  粟村さんのエクスタインの記述に刺激を受け色々とレコードを集めて来た。次の4枚を紹介したい。

1)MR,B /BILLY ECKSTIN EMBER 1944/4/13 ,1946/1/8
2)BILLY ECKSTINE / TOGERTHER SPOTLITE 1945
3)BILLY ECKSTINE / THE LEGENDARY BIG BOP BAND MERCURY 1945/11 ,1946/9
4)BILLY ECKSTINE & COOTIE WILLIAMS 1944 HARLEQUIN 1946/6

  1)以前から定評のあるデラックス・レーベルが音源のアルバム。エクスタインのヴォーカルの他、ゴードンのアモンズのテナーバトル、専属シンガーのサラ・ヴォーン、ベニー・カーター・オーケストラにマキシム・サリバンが加わった内容。

  2)45年ロスのクラブからの放送録音を編集したアルバムで、スタジオ録音では聞けないライブならではの熱気を孕んだ演奏展開は、先駆的ビバップ・オーケストラ本来の姿を捉えた貴重な録音。

  3)ナショナル原盤のアルバムは既にCBSSONYからリリースされていたが、音質面で改善が見られキーノート・シリーズで改めてリリースされたアルバム。器楽演奏とボーカルをピックアップした好編集盤。

  4)ナショナル原盤で新たに発見された10曲が収められており、メンバーの中にジーン・アモンズ、フランク・ウエス、リントン・ガーナー、アート・ブレイキーの参加が目を引くジャズ・ボーカリストの丸山繁雄はエクスタインの偉業に大いにインスパイヤーされ自身がバンドリーダーとなって1984年に「丸山繁雄酔狂座オーケストラ」を組織した。
  主なメンバーは大森明、原朋直、大友義雄、井上淑彦、榎本秀一、望月英明など優れた若手が大挙して集い、その成果は93年の丸山繁雄酔狂座オーケストラ/KICK OFFと、近作で2013年ジョン・ヘンドリックスを迎えてのライブ丸山繁雄酔狂座オーケストラ/ The ONEの二枚のアルバムに如実に表れているが、それにもまして素晴らしいことは93年から今日までその活動が継続している事であろう。

 
【JAZZ ジャケット・ギャラリー】

  DUKE ELLINGTON / ELLINGTON UP TOWN - HI-FI ELLINGTON UP TOWN COLUMBIA

   エリントンが51年ジョニー・ホッジス、ソニー・グレアー、ローレンス・ブラウンが相次いで退団し楽団は窮地に追い込まれたが、エリントンはハリー・ジェームス楽団からウイリー・スミス、ファン・ティゾール、ルイ・ベルソンを引き抜きバンドを立て直した。ウイリー・スミスは間もなく退団し隠れた逸材ヒルトン・ジェファーソンが加わった。ジェファーソンが加わったアルバムは少なくその意味からも貴重な作品。
  HI-FIがタイトルについているかいないかで内容が一部異なっている。A面 SKIN DEEP ,THE MOOCHE ,TAKE THE "A" TRAIN の三曲、B面 PERDIDまでは変わらないが" A TONE PARALLEL TO HARLEM "がHI-FIでは"CONTROVERSIAL SUTE ~BEFORE MY TIME~LATER"に変わっている。
  演奏内容はやはりルイ・ベルソンのドラミングがエリントン楽団を新たにドライブさせており50年代の代表作の一枚。ヒルトン・ジェファーソンはTHE MOOCHEでハリー・カーネイの後短いながら素晴らしいアルト・ソロを聞かせている。


【あの頃のバンド・シンガー】

  ヘレン・ヒュームズ(1913年6月23日-1981年9月9日)

  ヘレン・ヒュームズがビリー・ホリデイの後釜としてカウント・ベイシー楽団に迎えられたのが1938年の春であった。以降1941年の約3年間在籍し、その間チック・ウェップ楽団のエラと肩を並べる人気を得ていた様である。ジャズ・ボーカルの草分けであるミルドレッド・ベイリーの伝統を継承する重要なボーカリスト。ベイシー時代の録音は「黄金時代のカウント・ベイシー」デッカ原盤の4枚組の中に38年3曲、39年2曲の5曲が収められている。もっぱらポピュラー・ナンバーばかりだが、若々しく実にチャーミングな歌唱が魅力的である。
  40年代の録音は46~~47年にかけて"BLACK AND WHITE"における2回の録音、各3曲をまとめた6曲が”ブラック・アンド・ホワイト・マスターズ”VOL.2 でアイヴィ・アンダーソンとのカップリングで発表されている。ヘレンのヒット作”ビ・ババ・レバ・ブギー”を取り上げミード・ラックス・ルイスのピアノを擁したバックでの3曲とバック・クレイトン・オール・スターズで3曲、伴にブルース・フィーリング溢れた歌唱が形成されつつあるのが垣間みえる貴重な音源。50~60年代はコテンポラリー盤の3枚がある。
 "SONGS I LIKE TO SING"ではマーティ・ペイチ、"TAIN'T NOBODY'S BIZ-NESS IF I DO"ベニー・カーターセクステット、"SWINGIN' WITH HUMES"ウイントン・ケリーを擁したコテンポラリー・オール・スターズ的なセクステット、それぞれヘレンの充実した歌唱が楽しめる。73年夏のニューポート・ジャズ・フェスティバルでカンバック、75年の"THE TALK OF THE TOWN(COLUMBIA) も秀作。以降ミューズ~ブラック&ブルー、RCAとかなりのアルバムがあるがどれも購入して損のない好アルバムばかりである。
 
 
 【かくれた名演奏を求めて ①】

 QUESTION AND ANSWER / PAT METHENY GEFFEN 1989

   1972年パット・メセニーはギタリストとしての自身の才能を認めてもらうために、ゲイリー・バートンに直談判で迫ったという。ゲイリーに認められ18歳でバークリー音楽大学で講師を務め、74年ゲイリー・バートンのリーダー作「リング」でレコーディング・デビュー。
  80年にジャズ・アルバム"80/81"をリリース。
7作目にあたる本作はデイブ・ホランド~ロイ・ヘインズによるトリオ編成。
  メセニーのオリジナル5曲、スタンダードALL THE THINGS YOU ARE ,OLD FOLKSの2曲にマイルスのSOLAR,オーネットのLAW YEARSの内容。三者の対話による妙技が圧倒的な素晴らしさである。当時64歳ロイ・ヘインズのシャープなドラミングが
三者の対話をよりスリル溢れたものにしている。




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