第30回メールマガジン

一回~のメルマガ掲載 不定期ながらミニ情報やまだ楽しめるジャズの話などを皆様にお話しできたらと思っております。
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 2019年6月19日 JAZZCAT-RECORD メールマガジン 第30回

【今月の一冊】

 「聖者が街にやってくる」~ジャズの故郷ニューオリンズ~         外山喜雄 著    冬樹社 1982

  著者はトランペットを中学時代から始め、早稲田大学時代からニューオリンズ・ジャズに傾倒、卒業後拠点をニューオリンズに移し、バンジョー奏者の恵子夫人とニューオリンズでの生活を  まとめたものである。
  その内容はニューオリンズの風俗からジャズ及びジャズメン、ジャズを理解する上で映像の力は大きい、そうした観点からの"ジャズ名画館"では17本の興味深い紹介記事更に、ニューオリンズの食文化にまで及び"ソウル・フードの作り方実践教室"では7品のレシピを紹介、その他"ニューオリンズ・ジャズ年表","ニューオリンズ・ジャズ・レコード・ガイド"は51枚をジャケット写真と寸評で紹介し、"クラッシック・ジャズ入門"でも21枚を写真と解説で取り上げていている。
  比較的入手しやすいDAN RECORDS"アメリカン・ミュージック・シリーズ"全20枚。幻の名盤"JASS AT OHIO UNION,"来日コンサート・シリーズ"ジョージ・ルイス大阪、東京、小倉のコンサート音源二枚組、"ダン名盤シリーズ"全10枚伴に写真入りで紹介し、リバーサイドのLIVING LEGENDSを含めた8枚も紹介しており、レコード蒐集には外山喜雄氏の推薦は最も信頼がおけるだけに大いに参考になる。]
  本書は盛り沢山の内容及び活用頻度の高いユニークな一冊であり益々古いジャズが好きになる好書である。

 【あの頃のジャズが聴きたい】

 STAN GETZ / NOBODY ELSE BUT ME VERVE Rec 1964
  TS)STAN GETZ,VIB)GARY BURTON,B)GENE CHETICO,D)JOE HUNT

  50年代の一時期スウェーデンへ移住しジャズからは離れていたスタン・ゲッツだが、1961年に帰国、翌1962年当時注目されていたブラジル音楽ボサノヴァを採り入れたアルバム「ジャズ・サンバ」をチャーリー・バードと共に録音。それによってジャズ界におけるボサノヴァ奏者の第一人者として高い評価を得、1963年3月、ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビンと共に『ゲッツ/ジルベルト』を録音。このアルバムは、グラミー賞4部門を独占する大ヒットとなる。
  こうした状況下の64年5月、驚異の新人バイビストであるゲリー・バートンを擁したニュー・カルテットのスタジオ録音が敢行されるが、前記の状況を反映し"お蔵入り"となり、このカルテットが聴けるアルバムは66年パリでのライブ・アルバムだけであった。漸くCDで未発表音源としてリリースされたのが1994年。その内容の素晴らしさに依って多くのファンの注目を浴びた。ゲリー・バートンの4本のマレットを使い高度の音楽性をバックボーンに
多彩なテクニックを駆使するそのビブラフォンはスタン・ゲッツを大いに刺激し、今までにない斬新なサウンドを表出している。
 

【バンドシンガー】

 エラ・フィッツジェラルド ( 1917/4/25 - 1996/6/15 )

   ジャズ界のファースト・レディと讃えられるたエラ・フィッジェラルド、残されたアルバムはデッカ~ヴァーブ~キャピトル~リプリーズ~パブロと多岐に渡り膨大な数に上る。しかし、若き日のエラにスポットがあたったことはあまりないと思われる。今回は最高のバンドシンガーと言われたデビュー当時のエラを取り上げてみたい。15歳の少女がハーレームのアポロ劇場のアマチュア・コンテストで優勝し賞金を獲得、同じハーレムにあるオペラ・ハウスで唄う事になり、客席で見に来ていたチック・ウェップの目と耳に止まり、エラの才能に惚れ込んだチックは、エラを自宅に引き取って家庭内ではチック夫人に躾を教え、外では毎晩バンドスタンドに坐ってバンド演奏を聴いて覚え込む様に仕向け、唄に付いてはコーチだけでなくステージでの歩き方~表情~聴衆への語りかけ~服装に至るまですべて厳格に教えたのだった。その結果数々のバンドシンガーの中でこの時期のエラほど経歴が長く人気実力に秀でた存在は、チック・ウェップ楽団のエラにしかその存在を見出す事が出来ない。
 こうしたエラの存在をピアニストでアレンジャーでもあるメリー・ルー・ウィリアムスはこう語る"ある晩、サボイに寄った、数曲踊った後で、身体がしびれるような歌声を聞いた。私はステージに駆け寄って、声の主を探した。楽しそうな表情の褐色の少女が、つつましやかに素晴らしい歌を歌っていた"1936年~1941年の期間エラの唄ったレコードは130曲余りに及んでおり、この事はエラがバンド・シンガーとして偉大な足跡を残したことになる。その内容はチック・ウェップ楽団で54曲、バンドのピック・アップ・メンバーからなるコンボ、エラ・フィッジェラルドとサボイ・エイトで26曲、チック死後エラがバンド・リーダーとなって吹き込んだものが50曲以上あり、その音源が中々聴く事が出来なかったが、過ってビクター音楽産業がMCAレーベルを通してビックバンドの権威である瀬川昌久氏の監修・解説で"エラとサボイ・エイト"の全録音27曲を軸にチック・ウェップ楽団14曲の計41曲を収めた"EARLYELLA"(MCA-3108~10)の3枚組が貴重である。
 今後のCD化でその全貌が明らかにされることを切望したい。
【ジャズ・クラッシックス】

 CHICK WEBB / A LEGEND VOLUME ONE DECCA ( 1929-1936 )
CHICK WEBB / KING OF THE SAVOY DECCA ( 1937-1939 )
 THE IMMORTAL CHICK WEBB / STOMPIN' AT SAVOY COLUMBIA( 1933-1936 )

  デッカ・ヘリティジ・シリーズの二枚とコロンビアのアルバムはスイング期にハーレムにあるサヴォイ・ボールルーム"を牙城にバンド合戦の常勝バンドとして、身体のハンディを乗り越え人のリズムが一体となってつくり出す強力なスイング感に乗ったソロイスト達の熱演が常勝バンドの主たる要因と思われる。
  スイングはジャズの分野としては人気薄だが楽団のメンバーにはTP)タフト・ジョーダン、TB)ジミー・ハリソン、AS)ヒルトン・ジェファーソン、AS&CL)ベニーーター、AS)ジョニー・ホッジス、エドガー・サンプソン、B)ジョン・カービーらを擁し、若き日のプレイも大変興味深い。この三枚のアルバムと"EARLY ELLA"にはチック・ウェップ楽団の圧倒的な躍動感あふれた演奏内容は、時を越えてリスナーを魅了する違いない。 

【隠れた名演】
 
  * 松本英彦のモダン・ジャズ  TEICHIKU NL-3005 Rec1960
  TS)松本英彦、P)世良譲、G)沢田駿吾、B)木村新弥、D)猪俣猛

 A面マリーナ、五つの銅貨、四月の思い出、バリハイB面テンプテーション、ムーンライト・セレナーデ、ヴォラー レ、アイル・リメンバー・ユー1926年広島生まれ。音楽好きの少年は中学に入るとブラスバンドに入りクラリネット~アルトサックスやフルートも手掛けていた。
  本格的にジャズを志したのは終戦後、座間のキャンプ・バンドに入りテナーが居なかったので、テナー奏者松本英彦が生まれることになる。
  1960年録音の本作は松本英彦の最上のプレイが聴かれる超コレクターズ・アイティムの一枚。当時松本はソニー・ロリンズに傾倒、随所にロリンズの影響が垣間みえるが、そうした事など感じさせない悠揚迫らぬスケールの大きなテナープレイ、ロリンズのアルバムで言えば"SOUND OF SONNY"を連想させる。"バリハイ"のソロ・プレイ、グレン・ミラーの"ムーンライト・セレナーデ"のモダンな解釈、素晴らしさを越えた感動を与えてくれる類まれな一枚である。
 
【TRIBUTE TO SOMEONE】
 
  *ドリス・デイ(1922/4/3 - 2019/5/13)

 ドリス・デイが2019年5月13日カリフォルニア州の自宅で死去した。97歳。1922年4月3日オハイオ州シンシナティ生まれ。1942年レス・ブラウン楽団での"SENTIMENTAL JOURNEY"のミリオン・ヒット、以降は順調で映画~ミュージカル、数々のアルバムをリリース、ジャジーなアルバムとしてはアンドレ・プレヴィンとの"DUET",ポピュラー・ボーカルとしてはアレンジと指揮をモート・ガーソンが担当した"SENTIMENTAL JOURNEY","LATIN FOR LOVERS"の二枚が傑出していた。


*アンドレ・プレヴィン(1929/4/6 - 2019/2/28)

  2019年2月28日、マンハッタンの自宅で死去した。89歳だった。音楽との全方位的に係り活躍、残されたアルバムは枚挙に暇がない。そうした中でジャズに限って思い起こされるアルバムと言えば、1960年のダイナ・ショアと1962年ドリス・デイトのボーカル・アルバムである。ダイナは多くのレコーディングの中で最も気に入っているアルバムがプレヴィンとの"SONGS IN A MID-NIGHT MOOD"だという事も首肯できる。ドリスはプレヴィンとは初共演で、共通の趣味の話題で盛り上がり数回のリハーサルを経てレコーディングに望んだという。 ダイナ~ドリス共々レッド・ミッチェル~フランク・キャップを擁したアンドレ・プレヴィン・トリオのセンシティブなサポートを得て完璧なインタープリティションを展開、この様に二人の新たな局面を引き出した音楽性は、アンドレ・プレヴィンだからなしえたと言えるのではないだろうか。


*エセル・エニス(1934/11/28 - 2019/2/17)

   ジャズ歌手のエセル・エニスが2019年2月17日、脳卒中に起因する合併症のためボルティモアで死去した。86歳。50年代後半ベニー・グッドマン欧州ツアーに参加各国で好評を博し,70年代にはホワイトハウスに招かれ歌ったり黒人歌手としては洗練されたスタイルで好評を博した。CHANGE OF SCENERY(CAPITOL),EYE'S FOR YOU(RCA VICTOR),オーケストラとコンボのアルバムで偲んだみたい。


*ミシェル・ルグラン(1932年2月24日 - 2019年1月26日)

   フランス映画音楽界の巨匠で、ジャズ・ピアニストとしても知られるミシェル・ルグランが2019年1月26日未明にパリにて死去した86歳。1958年アメリカに渡りオールスター・キャストによるビックバンド・ジャズ"LEGRAND JAZZ"で脚光をあびた。フランスに生んだ天才作編曲家というのがルグランのキャッチフレーズだが、ジャズピアノにも長けた才能を全開したアルバムがある。"MICHEL LEGRAND AT SHELLY'S MANNE-HOLE1968年ロス・アンジェルスのシェリーズ・マン・ホールでのライブ、共演者はレイ・ブラウン、シェリー・マンによるトリオ・アルバムである。機知に富んだ演奏展開は"マイ・ファニー・バレンタイン"の弾き語り、セシル・テイラーを連想するフリーなアプローチを盛り込んだライブの臨場感が横溢した楽しいアルバムで暫しルグランを偲びたい。
 
【日本人演奏家】

  鈴木 章治(1932/8/16 - 1995/9/10)

   横浜市出身。日本のベニー・グッドマンと称された名クラリネット奏者。16歳でプロとして活動を始め、1952年に自身のバンド、リズムエースを結成。編成は常にセクステットに依っていた。(クラリネット~ビブラフォン~ピアノ~ギター~ベース~ドラムス)転機が訪れたが1957年ベニー・グッドマン楽団が来日
日本での7回の演奏会の内6回出向いたという鈴木章治とベニー以下サイドメンとも親しくなり、銀座のクラブに出演していた鈴木章治を訪れ、同行していたクラリネットのピーナツ・ハッコーとの親交がスタートする。
   鈴懸の径"に魅かれたピーナツ・ハッコーは後日TBSラジオ放送用のレコーディングにおい鈴木章治との共演が実現、放送後大きな反響があり後にビクターよりアルバム"鈴懸の径"としてリリース、ジャズファンのみならず幅広い領域の音楽ファンの支持を得て、更なる鈴木章治の名声を確かなものにしたのだった。以降も、二人の関係は継続し66年にハッコーの招きで渡米、数週間エディ・コンドンのクラブを初め多くのミュージシャンとの共演を通して自身の表現を深め、74年グレン・ミラー楽団のメンバーとして再来日したピーナツ・ハッコーと"PEANUTS HUCKO MEETS SHOJI AGAIN"をリリース、82年には念願のカーネギーホールでのコンサートを実現、その副産物としてニューヨークでピーナツ・ハッコーとリズムエースとの共演作"SWING IN MANHATTAN"発表。こうしたピーナツ・ハッコーとの三部作は鈴木章治の最も輝かしい時期のアルバムとして忘れることが出来ない。



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