第31回メールマガジン

一回~のメルマガ掲載 不定期ながらミニ情報やまだ楽しめるジャズの話などを皆様にお話しできたらと思っております。
また、これからジャズを聴きたいがどれから始めたらと迷っている方
にも情報が送れたらと思っております。
ジャズジャーナリズムが地に落ちた現状で少しでも何か発信したいと
思っております。  
購読をご希望の方は下記メールアドレスにご氏名、メールドレスを
お送りして頂ければと思っております。

 jazzcat@yokohama.email.ne.jp



 2019年11月12日 JAZZCAT-RECORD メールマガジン 第31回

 【あの頃のジャズが聴きたい】

 WARDEL GRAY / GENE NORMAN PRESENTS JUST JAZZ CONCERT                   1947~1949 (GNP Crescendo / KING K18P 6259/61)

   VERVEレーベルの創始者、ノーマン・グランツが主催したコンサートは、1940~50年代の代表的なジャズコンサートシリーズとして、つとに名高いが、同時期、西海岸を中心に「ジャスト・ジャズ・コンサート」というシリーズがあった。J.A.T.Pがチャーリー・パーカー、レスター・ヤング、オスカー・ピーターソン、ディジー・ガレスピーなどが看板スターであった。
  これに対し"ジャスト・ジャズ・コンサートは、ワーデル・グレイ、スタン・ゲッツ、ソニー・クリス、ハワード・マギーなどのモダン派が中心だが、グッドマン、ライオネル・ハンプトンといったスイング時代の大物プレイヤーも顔を連ねていた。特に、ワーデル・グレイは看板プレイヤーで、「チェイス」という、デクスター・ゴードンとのテナーバトルの名盤も残している。そして、あのライオネル・ハンプトンの"スター・ダスト"はこのコンサートから生まれている。
  このコンサートのプロデュースはジーン・ノーマンという熱心なジャズファンで、学生時代からラジオ番組のDJだった。この時以来の数々のジャズメンとの関係の広がりが、"ジャスト・ジャズ・コンサート"としてステップ・アップしアーリー・モダンの貴重な記録となり、"ロリンズ以前の最高のモダン・テナー"と評されるワーデル・グレイのプレイが今回の3枚組8曲70分に及ぶ内容で堪能できる内容になっている。
  録音は1947/12/27,29本作はフランス/ヴォーグ盤を基にマギー~クリス~グレイ~マーマローサ~カレンダー~ミルスに依る"BE BOP"とシティ・ブルース・シンガー、ジミー・ウィザースプーンの4曲が収録されヴォーグ・オリジナルに比してより充実度が増している内容になっている。グレイのオリジナルテイクをまとめたアルバムはこのキング盤だけの快挙である。
 

【ジャズ・クラッシックス】

 BILLY EcKSTINE (1914年7月8日-1993年3月8日 )

   40年代アーリー・モダンのビック・バンドはアール・ハインズ楽団で当時のハインズ楽団にはガレスピー~パーカ~グレイ~エクスタインを擁しビ・バップの温床となっていたが、44年に入るとエクスタインがハインズ楽団から独立し前期メンバーを引き連れビ・バップのオーケストラを結成した。44年6月~47年2月まで存続し、その間マイルス~ナヴァロ~マギー~ドーハム~デクスター~アモンズ~ステット~ウォリントン~ペティフォード~ブレイキーなど名を連ねている大型バンドであった。この瞠目すべきオーケストラの正規な録音はナショナル・レーベルに吹き込んだものがCBSソニーから出ていたが、音質的にキーノート・シリーズでリリースされたBILLY ECKSTINE / THE LEGENDARY BIG BAND(1945/5~1946/2~9)の音質がまさっており、参加メンバーもガレスピー~パーカー~マイルス~ステットらが在籍、より良い音質で聴け資料的にも貴重である。
   一方"TOGETHER / BILLY EcKSTIN(SPOTLITE)は前記に先立つ1945/2~3のラジオ放送のエアー・チェック。前記スタジオ録音に比してハリウッドのライブ音源だけにより躍動感溢れた内容になっている。
  此処に集ったミュージシャンが後にモダン・ジャズを様々に展開させることを想うと、この際立ってエネルギッシュな躍動感にワクワクさせるものがある。日本のメール・ボーカリスト丸山繁雄はエクスタインに私淑し90年代スター・オーケストラに依る"丸山繁雄 酔狂座オーケストラ"を組織、現在も継続している,影響の最も素晴らしい展開だろう。


【隠れた名演】
 

   WOLFGANG DAUNER (1935年12月30日- )

  ドイツ・シュトゥットガルト出身のジャズピアノ奏者、作曲家。 1960年代にヨキ・フロイントのバンドで活動を始める。62年の初リ―ダー作 "JAZZ STUDIO"でオーソドックスなピアノでデビューしたダウナーは翌63年ベースのエバーハルト・ウェーバー等とトリオを結成"DREAM TALK"を発表、斬新なヨーロッパ・ジャズのピアノ・トリオ盤として脚光を浴びた。
  入手困難なアルバムとしてコレクター達が切歯扼腕したアルバムだった。以降はフリー~ジャズ・ロックなど様々に楽想を展開させMPSレーベルを通してアルバムをリリース、中でも70年の"MUSIC ZOUNDS"はTHE THINGS WE DED LAST SUMMER~BLUE LIGHTに聴かれる粒立ちの良いスウイギーなプレイに魅了される。
  フリーなアルバムとしては71年ジャーマン・オールスターズの一員として来日した折にベーレントと油井正一のプロデュースに依って実現した佐藤允彦とのデュオ・アルバムの秀作"PIANOLOGY"(東芝)残されている。


 【メールボーカリスト】

 MAL FITCH (1926年 - )

 男性ボーカルそれも弾き語りとなると今も昔も人材に事欠く状況だが一度その分野に分け入ってみると様々な個性と出会える魅力ある領域である。マル・フィッチは幼少の頃から音楽の才能を現し、15歳でジャズに傾倒、カレッジで2年間学び1946年に陸軍に入隊してからはバンド・リーダー~トロンボーン奏者~ディスク・ジョッキーとしても活動、1948年の除隊後は指揮法を学んだり幅広く音楽との係わり、弾き語りで一流クラブやホテルに出演した。
  1955年から56年にかけてカナダ出身のクルーカッツという
コーラス・グループのピアニスト~アレンジャーとなり、ベティ・ベイカーとの結婚を契機にヴォーカル・デュオを組んで、ダラスを中心に人気を集めた。この様に音楽性に長けたマル・フィッチ、わが国ではほとんど取り上げられる機会はなかったが、80年代から90年代にかけてのボーカル・ブームはフィメール・ボーカル中心に展開し、多くのアルバムが復活長年の渇を癒した感があった。こうした活況がメール・ボーカルにも久々に"陽"があたり90年代初め本邦では初めてマル・フィッチのアルバムが発表になった。
  エマーシー・レーベルからの"MAL FITCH"は、ナット・コールを範としたスタイルで著名なスタンダードがフレッシュな感覚で蘇っている。自身の洒脱なピアノトリオ、曲に依ってサム・テーラーのテンダーウォームなテナーが加わる内容。前後してフレッシュ・サウンドからテキサス州ダラスにあった"90th Floor"と言うレーベルからマル・フィッチの本領を発揮したアルバム"MAL / CONTENT"が復刻、幸いなことにCD化されていているのは良いが、アナログは再発も含め貴重なものになりつつある。


 【フィメール・ボーカリスト】

  RUTH BROWN (1928年1月12日 - 2006年11月17日)

  "LATE DATE WITH RUTH BROWN" ATLANTIC 1959
  "THE REAL RUTH BROWN" COBBLESTONE 1972
  "HAVE A GOOD TIME" FANTASY 1988

  ルース・ブラウンはヴァージニア州ポーツマス生まれ。父親が教会の指揮者の関係で早くから聖歌隊で歌っていた。20歳時ラッキー・ミリンダー楽団を経てブランシェ・キャロウェイ(キャブ・キャロウェイの妹)に認められ49年アトランテックと契約。以降、"SO LONG"をはじめとしてビルボード誌のR&Bチャートにノミネートされ"ミス・リズム"と呼ばれた。初期のジャズ・アルバムとしてはリチャード・ウェスのアレンジとオーケストラにストリングスを配したバックでスタンダードを歌ったアルバム"LATE DATE WITH RUTH NBROWN"(ATLANTIC 1959)"THE REAL RUTH BROWN"(COBBLESTONE 1972)はフュージョン全盛期スタッフのメンバーとのコラボレイションはルース・ブラウンの代表作たる秀逸なアルバム。
  "HAVE A GOOD TIME"(FANTASY 1988)はアルトのチャールス・ウイリアムス~レッド・ハロウェイのテナー~ボビー・フォレスターのアルガンとの良好なコラボレイションがルース・ブラウンのボーカルを一段とアーシーな感覚を刺激し、リズムへの乗りの良さに依って説得力ある表現が聴かれる。50年代から亡くなるまで時代的な感覚を失わず、そこで得たものを自身のボーカルに反映させ、R&Bにとどまらずポップス~ロック~ジャズまでの幅広い領域をカバーする偉大なシンガーである。


【日本人演奏家】

     中牟礼 貞則(1933/3/15 - )

   2014年8月に"シンコーミュージック・エンタテイメント"から刊行された「日本のジャズ・ギタリスト」は中牟礼貞則と渡辺香津美に依る対談中牟礼氏の語りで"深化し続ける熟達の過去・現在・未来"と題して虚心坦懐に自身を語っている。中でも氏のポリシーである次の言葉に魅かれる。
  "基本的に影響を受けたものは演奏しないし、好きな演奏家のことを「好き」とも言わない。でも全ての音楽を認めて、敬意を払う。気持ちは"アンダーグラウンド"にあって、陽の当たっている音楽に対して興味が湧かなかったりする。良く言えば音楽の深い部分を見たいと思う"。
  当時は教則本などは無く、師と呼ぶ人は居ず教えを乞うことも無く、レコードを聴いてコピーする事とセッションを通して学ぶことが多かったようである。こうした中で自身のジャズ・ギターを研鑽、他のジャズ・ギタリストとは一線を画した独自のスタイルで自由にジャズとの共生が成立しているように思われる。
従ってアルバムは"INTER CROSS"(1999)"REMEMBRANCE"(2001)の二枚がジャズ・ギタリストとしてのスタートだと言ってはばからない。ライブ及び次作に期待がかかる86歳である。
  ここでは"SADANORI NAKAMURE / LIVE AT SHINY STOCKINGS"(1979)の初リーダーアルバムと"REMEMBRANCE"(2001)の二枚のアルバムを上げておきたい。

  2003年こうした素晴らしい中牟礼さんを迎えてのインフォーマルなライブを、進境著しいベースの坂井紅介さんにお越しいただいて、本邦初演のセッションすることが出来た。中牟礼さんは1999年"INTER CROSS"."REMEMBRANCE"(2001)をリリースした心技体の充実期、一方坂井さんは幅広い活動で得た音楽性を井上淑彦FUSEで発揮するという好循環に依って,自身の技巧及び音楽性が一段とステップ・アップした好機、アグレッシイブで躍動感あふれた素晴らしいライブであった。





メルマガの購読を停止する場合はお手数ですが下記メールアドレスに ご連絡をお願いいたします。
Email: jazzcat@yokohama.email.ne.jp